ホスピルという造語によせる思い
病院の治療を経て、退院をせまられるときがあります。それを、「病院からおいだされる」という言い方で表現されることもあるようです。
しかし、病院側はおいだそうとしているわけではありません。病院のベッドは有限です。そして医療には限界があります。治癒や延命が現在の医療ではみこめない病気もあります。
病院の治療で、みなが若々しい元気な状態にもどれるわけではありません。病気になり治療が一段落しても、元の状態にもどれないという「非可逆なこと」はしばしばあります。
特に「老い」がそこにあるとき、治癒や延命がよりむずかしくなります。人間はいつまでも若いわけでも、不老不死というわけでもないからです。
病院側が、付き添いがあれば家庭で暮らすことが可能だという判断としても、家庭で付き添ったり介護をすることが困難なとき、「おいだされる」という言い方がされるようです。その困難さの理由は様々だと思います。重度の障害でそもそも介護がむずかしい、あるいは人手がいないという、ことなど各事例で様々です。
そういうときに役に立てるような施設をめざして「ホスピルビレッジ岡崎」は開設されました。
この施設はホスピタルではありません。病気の治癒や延命を目的にしていないからです。
もちろん、最近の医療は、治癒や延命を目的にするだけでなく「生活の質(QOL=Quality of Life)」もめざしています。ひとつの典型例は、末期がんの最後をみとる緩和医療をおこなうホスピスです。
この施設はホスピスでもありません。末期がん患者だけを受け入れている専門施設ではないからです。
一方、高齢者の医療は、広い意味でいえばホスピスでの緩和医療:治癒や延命を目的にせず、QOLをできるだけ保ちながら苦痛のコントロールをすること、に似た側面があります。もちろん同じではなく、残された寿命が、数カ月なのか、数年間なのかという違いだけでもありません。
「ホスピル」という言葉はこのような背景からうまれたものです。
最後に、この施設は「訪問診療」「訪問介護・看護」という形態でサービスが提供されます。いわば「在宅医療」の一形態です。スタッフは、この施設にとどまらず、市内の一般家庭へのサービスの提供も要望に応じておこないます。この施設が、未だ発展途上の、岡崎の地の「在宅医療」の一拠点となっていくことを祈っています。
こじまファミリークリニック 院長 小島 泰樹 ((株) コンプリ 代表)